Text 出倉憲秀(料理研究家)

第32回 イタリアで思いついた理想の日本料理店 2004年2月6日

 私は、どこにいようとも、つい食べ物と料理に関係する発想に至ってしまう癖があります。まずは、古い話になりますが、1960年代のイタリア旅行からお話ししたいと思います。

 当時、私は、料理の見聞を広げるために、好きな登山をしながら欧州長期旅行をしていました。その途中、イタリア・ローマを訪れた際に、スペイン階段近くの路地裏にある小さな定食屋でランチを取ったときの話です。このスペイン階段は映画「ローマの休日」の一場面でも使われ、観光スポットになっているところです。私がそこを訪れたのは、その階段が目的ではなく、その近くにあった「旨くて安い」という地元でも評判のレストランでした。料理店を教えてくれたのは、コルシカ(北イタリアの山)中腹にあるミゾリナから下山して、ミラノに立ち寄ったときに知り合ったイタリア人クライマーから聞いた情報だったと思います。その話を聞いて、地元の人たちの行きつけの店とはどんなところなのか、そこで何が出されているのか……醤油の国から来た私は、興味津々で挑みました。

 レストランは石造りの平屋の一角にあり、看板もなく、開け放されたドアからレストラン内に入るようになっていました。中では仕事の休み時間に食事をとる陽気なイタリア人が、屈託なく食事を楽しんでいました。その中を抜け、窓際の一角にある席をすすめられ、席につきました。座ると、赤ワインやトマト、オリーブオイルが染み付いたテーブルから、「ぷーん」と酸味がかったにおいがし、この席で多くの人が食事を楽しんだ姿が刻まれているように思え、テーブルに着いていることが光栄に思えました。

 うわさ通り、出されたボンゴレのパスタも大皿にたっぷりで、味もトマトの酸味と塩加減がよく、美味しく、今でもその味を思い出すことができます。またさらに、注文したわけでもないのに、イタリアンワインのキャンティーが、デカンタに入れられて出てきました。私は周りの陽気なイタリア語に酔いしれながら、調子にのって飲み干すと、しばらくすると何も言わずとも、お代わりのキャンティーがおかれていく。周りを見ると、誰もが水のようにワインを飲み干していきます。のど越しスムーズなワインを飲みながら、遠い日本
の居酒屋、飲み屋を思い浮かべ、私も客にこんな風に地酒を楽しんでもらいながら、料理を出し、会話を弾ませる雰囲気を作れないだろうかと、私の「理想の日本料理店」を頭に描きながら、ワインを片手にスパゲッティーをすすっていました。

 ランチだというのに私はほろ酔い気分になり食事も済み、さあ、いよいよお勘定。貧乏旅行者の私、懐は決して暖かくなく、出されるままに水のように飲んだキャンティーが気になり、どきどきしながら、支払いを済まそうとカウンターに向かいました。財布から食事代の分だけの金を出して緊張していた私に、店員が笑みを浮かべながら、「店ではハウスワインは食事をすると無料ですよ」と言ってくれました。また席についてもう一杯飲みたくなるほど嬉しく、私の店も「酒は無料で飲み放題、それでいて客は自分の楽しめる量を心得ている店が持てるといいな」とそのとき思いましたが、今だ実現できていません。しかしながら、旅は、いろいろな想像をふくらませてくれます。

バックナンバー
ご質問・ご感想はこちら
第31回のページへ   |   第33回のページへ

海外で日本料理の仕事 トップへ